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アウトドア~な温泉日記

越後の戊辰・・・

北越戦争の直前、長岡藩家老の河合継之助は独立特行を主張し、

新政府軍、奥羽列藩同盟どちらにも味方しない、

両者の仲裁役を引き受けると申し出たが新政府軍の軍監岩村精一郎に却下されている。


思うに岩村にも世良にも会津を赦免する権限など一切持たされていなかったのではなかろうか、

それどころかその仲裁を取り次ぐ権限すら持っていなかったのではなかろうか、

もともと赦免するつもりなど一切なく、なにがなんでも潰すつもりであったのだ。


越後諸藩の動きも東北同様戦争を避けたいという思いから起こっている、

彼らもまた戦争を避けようとしたがゆえに逆に戦争に巻き込まれていった、

戊辰戦争は奥羽越列藩同盟側の時代を読めなかった無知が招いた罪であると言われる、

しかし実際には新政府軍側にも大きな罪があったのだ。


新政府軍側の罪とは避けられる戦争をあえて避けずに流血を招いた罪である、

無知が招いた罪よりもこちらの方がどれだけ重い罪であろうか、

長岡藩をはじめ越後諸藩も奥羽列藩同盟と合流し新政府軍に対抗する立場を明確にしていく。


忘れてはならないのは流血は負けた奥羽越列藩同盟側だけに起きたのではないということ、

長岡藩は小藩ではあるが近代的に装備を更新した精鋭であった、

これを落とすのに新政府軍は奥羽越列藩同盟側の実に3倍もの犠牲を払っているのである、

1000名以上の尊い命を犠牲にし、ようやく越後を落としたのだ。


こうして千数百の屍を踏みにじり、

戦火は会津へと進んでいく、

止められるはずの戦争は幾千の贄を食らい、やがて止まらない潮流と化していく、

越後の地を赤く染め、血塗られた道は会津へと続いていくのである。


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